描いた未来が同じように

先日の湾岸にてはぎやくんを見納めしました。そういうことにしたつもりです。まだまったく気持ちの整理もできていないし、約二週間前にみたはぎやくんの姿はこれでもかっていうくらい頭に浮かぶし、だいすきだった仕草が鮮明に描けてしまうし、彼の未来をもう勝手に第一人者みたいな顔して見届けられないことにはいわゆる未練しかないし。そんな気持ちを形にすることをずっとためらっていたけど、いまの気持ちも形にしておきたくて。これからも確かな足取りで羽ばたくための一歩一歩を刻んでいく彼のことを、過去形で語る人になることをわたしはわたしの意思で選びました。

 

正直、一年以上悩んでいました。はぎやくんが前に進んでいくたびに勝手に悩んでいた。わたしはそれがなんでだったのかいまだにわからないけど、勝手に悩んでいて。

わたしは、クセのある手や首や足の動かし方で踊っている姿が、ファンサがたぶんあんまり得意じゃなくて花道はてこてこと自分のペースで駆け抜ける姿がだいすきだった。もともとバンドがすきだから、素人の耳にもドラムの音が良くなっているのがわかるとほんとうにうれしかった。この夏に、2年ぶりくらいにはぎやくんのダンスがすきすぎると思えたのも、ぼろっぼろ泣けたのも、そのタイミングで本人がダンス頑張ると言ってくれたのも、本当にうれしかった。日本語がめちゃくちゃ上手なわけじゃないけど、伝える努力を怠らないところや、そこがメンバーみんなに信頼されているところや、ここっていうタイミングで確かな気持ちを教えてくれるところや、熱い気持ちと俯瞰的な視線のバランスをほんとうに尊敬していた。

 

12月の頭にやっぱりぐずぐず悩んでいたわたしのなかで決め手になることが起きたこともあって、湾岸の日はほんとうに最後のつもりでむかったけど、やっぱりだいすきでもうほんとうにかっこいいしかわいいし最高に顔がすきだし、すきなんですよ。ぜんぜん。このすきをあきらめたくないってほんとうにおもったし、おもってしまったし、わらったかおをずっと見ていたいし、この子が連れて行ってくれるすてきな景色はやっぱりいっしょにみたいな、とおもった。はぎやくんはほんとうにすてきなひとで、いつ見てもすてきで、すきなところしかなくて、何回も、ああ初めて見たときからこういうところがずっとすきだなあと確かめられるのがうれしかった。笑った顔が最高にかわいいところとか、踊る時の首の動かし方とか、パフォーマンスが最優先な仕事人なところとか、ときどき変なひとになるところとか。初めて姿を見てからはぎやくんのことをいっぱい調べて、グループを組んで、その間に最初の日には知らなかったところをたくさん知れたのもうれしかった。多趣味なところとか、先輩と仲良くなるのが上手なこととか、ケチなこととか、自分の中でちゃんと軸を持って優先順位をつけてるところとか、思ってた以上に感情的なこととか、わたしが大倉忠義氏は良いってやすだくんのファンをしてたときから思ってたのと同じことができちゃうひとだったこととか、思ってた以上に周りからかわいがられるひとなこととか。すきなところは見にいくたびに、雑誌が出るたびに、増えていって、最初はかっこよくておもしろくて惚れたはずなのに、気づけばかわいくてかわいくてたまらなかった。

 

やっぱりすきだ、とおもうことばかりでした。今年も。湾岸の日も。大袈裟なことばで言うと、はぎやくんはいつでも「生きている」瞬間がきらっきらしていてすてきだった。雑誌やテレビの中で見るよりずっと、現場で見る姿が最高にすきだった。客席を埋め尽くす人やペンライトの光を見て柔らかく笑って、両手を広げて花道を歩く姿が本当にだいすきだった。自分の気持ちをそのまま表情や仕草に出してくれてそこに浮かぶ嬉しいや楽しいやしあわせを信じさせてくれる彼のことを、きらいになんてなれるはずがなかった。
じゃあなんで、って話はいろいろとありましたが、いちばんは、どうしてもじょうくんの教えてくれた夢にこだわりたい自分がいたので、その気持ちに素直になろうと思ったからです。あの日まで、悩んだことはあっても、ふたりのことは本当にまったく違う気持ちでだいすきで大切で、比べたことは一度もなかったつもりだけれど(写り込み芸や寝転がってカメラ構える姿が似ていたことは喜んでいたけれど)、12月4日にじょうくんが更新した日誌でその気持ちをはっきりと自覚しました。いつのまにか、じょうくんが使う言葉が思っているよりだいすきになっていたし、その言葉を本当にしてあげたい、そのためになんでもしたいな、としか思えなかった。じょうくんがやってみたい仕事のこと、形になる方法を考えたい、実行したい、と初めておもった。わたしはあんまり、いままですきだった人たちにもこうしてあげたい、なんて思ったことはなくて、せめて楽しくしあわせでいてくれ、と強く願うばかりで。その姿が見れたらわたしもしあわせだからそれで良いとしか考えたことがなくて、それが続くように、現場に足を運ぶ、CDや雑誌や公式の何かは惜しまずに買うけど、アンケートも出来る範囲で書くくらいしかしない。だから、あの日は自分でもびっくりしたし、これは素直になるしかないんだと思った。もうそれが、いままでの誰とも、何とも、違う気持ちだった。それが烏滸がましいものだともおもうけど、そのくらい、すきになってしまったみたいだ。
はぎやくんのことはだいすきだし、何においてもまっすぐなところを本当に尊敬しています。もろろが教えてくれた「萩ちゃんのいいなって思うところは人を否定しないところ(中略)萩ちゃんは〝そういうところも含めて、その人だから〟って、本気でそう思える人なんだよ」というところが本当に本当にすきです。これは、あえて書くけれど、そこは、たぶんじょうくんにも、わたしにもない部分だなあ、と改めておもいます。それだけじゃなくて、いつでも俯瞰的になれるくせに羽目を外しちゃうときはめちゃくちゃに外せるところも、付き合いが悪いのに絶妙にかわいいところも、熱いところも、踊る時の癖が強めな腕の使い方も首の動きも、文鳥愛のすごさも、きれいなお顔も、ぜんぶすきです。どんなことも、いつだって、はぎやくんのことだとおもうと愛おしさしかなかった。

約5年間、とっっってもしあわせでたのしい気持ちを教えてくれてありがとう。信じていられて、いつだってはぎちゃんをみているのは楽しくて、しあわせしかなかった。はぎちゃんの見てて飽きないところのおかげで、いつでも勝手にだいすきでいられました!年下だけど、わたしがアイドルをすきなうちにきみがアイドルでいてくれることがほんとうにしあわせだった。それだけでしあわせだったのに、えいとやキスマイの曲を持ってきてくれるときに、同じものを良いと感じて過ごした時間があることを勝手に信じられてほんとうに嬉しかった。強火な大倉くん担のきみがいたおかげで、いつ足を運んでもえいとから持ってきてくれる曲が天才だったんだと勝手に信じています。はぎやくんが、みんながだいすきなハートのお口でたくさん笑う日々がずっと続きますように。はぎやくんが、はぎやくんのおもうたいせつなひとたちとしあわせでいてくれますように。そして、勝手な気持ちだけど、いつかどうかわたしを後悔させてほしい。しあわせしかなかった5年間の気持ちの次は、悔しい気持ちを今度は教えてくれたら、いいなあ。それくらいいろんな人に見つかっていろんなお仕事に挑戦していく日々になりますように。はぎやくんならぜったい大丈夫!!!心からそうおもうし、そう祈ります。たくさんたくさんありがとう。