僕の両手にとびこめよ



夏は本業がじゃにおたになる仕様なので、ひさびさに外食みたいなあ!って言った直後に決まったやつに行けなかったり、チケットもないけどスケジュール的にも乙に行けなかったり、行けなかったり行けなかったりして、そんなタイミングでチケ発やら告知やらなんやらのごたごたが起きて、本人悪くないしなって思いつつもやっぱり気になって、TLの空気も悪いしわたしも油注ぐようなこと言ってしまったしの自己嫌悪に苛まれて、でもやっぱりある程度お金を落としている以上言いたいことは言っていいのではとおもったりもして、でももうこれ以上お金落とさなくていいかなあなんておもったりしていた一週間、ライブに行く目的が変わってないか不安にもなった一週間、じぶんの人生もいま佳境というか路頭に迷っているというかそんなかんじで、わたしの中で恒例になっていたクライムとのツーマン、いつかは見たかったATATAとのツーマンで遠征はもうやめよう、関西は行ける限り行くけどいいかなあ仕事を無理矢理切り上げて駆けつけたりなんてしなくてもいいかなあなんておもったりしていた一週間、があったんですけど、先々週のClimb the mindとのツーマンでまざまざとわたしはこの人たちのことをきらいになんてぜったいなれなくてだいきらいでだいすきだとおもった夜があった。

あんな風に泣くことも、思い出しただけで鼻のおくがつんと痛いことも、そんなに簡単なことじゃないわけで それがどんなことでもあんなに感情を明け渡せることなんてそんなに簡単なことじゃない。愛想笑いもうまくなった、辛いことも辛くない振りもしなきゃいけないし、ある程度の良い顔も必要だし、それくらい、子どもじゃないから、もうできる。周りの目を気にして怒らない、泣かない、笑う、なんて当たり前のことで簡単なことだ。だから、自分の気持ちのままに悔しくなったり悲しくなったり、涙を流せる、しねまのライブが、大切になってしまうのなんてどうしようもない、簡単じゃないことを簡単にさせてくれる、彼らのことがだいすきでだいきらいでだいすきだ。

たぶん結構いろんな人に覚えてもらえてるとおもうんだけど、ありがたいことにイメージがあるって言われることもおおいんだけど、わたしは君になりたいがすごくすきだ。なんでって言われると、うまく言えないんだけれど、まずはしねまにちゃんと出会ったきっかけであるということ、歌詞もメロディラインもあのPVもぜんぶこのみだったこと、でも特にいちばんすきなのがやさしい間奏のあと三連符を挟んで一気に轟音に変わる瞬間だ。つじさんの感情のスイッチがオンになる瞬間を見れる一瞬があるのが大きい。つじさんの感情がオンになった状態で初めて仕上がる曲だと思ってる。

でも、あの日の君になりたいは、飯田さんが作り上げたものだった。わたしはいつものようにセンターに釘付けだったから、ちゃんと彼の姿を見ていないから、何が調子悪かったのかはわからない。視界の隅で彼は耳をぎゅっと塞ぐように抑えて、いつもは完璧に譜面通りの音をなぞる声が少しだけ外れた、と思ってからは、飯田さんから目が離せなかった。それは様子がおかしかったからでも、音が外れていたからでも、声が出ていなかったからでも、彼が辛そうだったからでもなくて、そういうことじゃなくて。感情がこもっていたとか、伝えようとしてくれたとか、そういうことなんだけど、そういうことだけで片付けたくない。一週間がたっても、あの飯田さんの姿を伝えられる言葉が見つからない。切れ切れに叫ばれる、「君になりたい、あと少しだけ、計画を、狂わせてほしい」という声がずっと耳の中にあるそのことがどういうことなのか、こんなに焼き付いてるのにこんなに言葉にならない。
きっと悔しかったんだろうと思う。どのくらい悔しかったのかはわたしなんかの想像で語るのは失礼だから、わからない。でも、ちゃんと歌えなかったことを悔しそうにしてくれる彼が、三島さんの作った言葉を代弁する人でよかったな、と本当に思った。不謹慎かもしれないけどほんとうにそう思った。三島の言葉だから歌える、みたいなことを飯田さんはよく口にするけど、本当なんだなあ、と思ったし、それってやっぱり、すごいことだ。人の言葉を自分の言葉みたいに歌いたいこと、歌えること、歌えなかったことを悔やむこと、それをきっとすべてひっくるめて三島さんが飯田さんに言葉を託していること、改めてぜんぶ、すてきだとおもった。
これは本当に自分の中に、忘れたくない気持ちとして残しておくんだけど、物販見てたら飯田さんが出てきてくださって、まず、謝られてしまったのが、わたしはほんとうに悔しかった。わたしも泣きたかった。彼の歌う姿に、声に、わたしの感情が揺さぶられていたこと、飯田さんがあの君になりたいを作り上げてくれたこと、それがほんとうにとてもよかったこと、どれもちゃんと伝えられなかった。あんなにいつもつたえてくれるひとに、ちゃんと伝えられなかったの、悔しかった。
飯田さんの歌声がほんとうに、ほんとうにすきだと思ったし、しねますたっふというバンドがほんとうに大切だとおもった。きっと、伝わらないんだろうけど、すこしでも伝わるように、伝えられるように、これからも彼らの姿を見続けていきたいなあ。わたし、楽しそうにライブをみている人間な自信はもともとあるけど、もっともっと、そうやってライブをみていたいなあ、とおもった。

「敬愛するClimb the mindに捧げる」と三島さんがつぶやいて、君になりたい、なんて、ほんとうに祈りみたいだった。計画は狂わされなくて、時計の針は進んで、君にはなれないけど、近づきたい、近づいているとおもいたい、信じたい、そんな夜だった